概要
上皇が幕府を倒そうとして敗れた。朝廷が武家に屈したことが、はっきり形になる。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
北条義時AD1163年–AD1224年 · 幕府側本文
後鳥羽上皇が、幕府の打倒を命じた。
朝廷が武家に兵を向けた、初めての例になる。
上皇の側は、 命令を出せば武士が従うと考えていた。
北条政子が、御家人を集めて演説した。 頼朝の恩を説き、 「名を惜しむ者は、逆臣を討て」と。
幕府軍が京都へ攻め上り、1か月で決着した。
三上皇が流された。 後鳥羽は隠岐、順徳は佐渡、土御門は土佐。
天皇が武家に流された。
幕府は京都に六波羅探題を置き、 朝廷を監視する。 天皇の即位にも口を出すようになる。
権威と権力の関係が、はっきり入れ替わった。
動画(1)
出典(1)
編者未詳(鎌倉幕府) 『吾妻鏡』承久三年五月