概要
聖地へ向かうはずの十字軍が、同じキリスト教の都を略奪した。ビザンツはこれ以後立ち直れない。
場所
コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
関わった人(1)
エンリコ・ダンドロAD1107年頃–AD1205年 · 艦隊を出したドージェ本文
エジプトへ向かうはずだった。
ヴェネツィアに船を発注したが、 集まった兵が予定より少なく、代金を払えなかった。
ヴェネツィアは、代わりに ハンガリー領のザラを攻めることを求めた。 同じキリスト教の都市になる。 教皇が破門したが、軍は従わなかった。
次に、ビザンツの帝位争いに介入する話が持ち込まれた。 王子を帝位に就ければ報酬が出る、と。
就けた。だが払われなかった。
そこで都を攻めた。
三日間の略奪が行われた。 聖ソフィア大聖堂の祭壇が壊され、 青銅の馬像がヴェネツィアへ運ばれた。 いまサン・マルコ寺院にある。
ビザンツは、この後立ち直れない。 1261年に都を取り返すが、 かつての力は戻らなかった。
2001年、教皇ヨハネ・パウロ2世が謝罪した。
出典(3)
ヴィルアルドゥアン 『コンスタンティノープル征服記』全篇
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第60章
アミン・マアルーフ(牟田口義郎、新川雅子 訳) 『アラブが見た十字軍』第4部(フランク人が同じキリスト教の都を襲う)