概要
88年ぶりに奪い返した。虐殺を行わなかったことが、敵側の記録にも残る。
場所
エルサレム
31.77°N 35.21°E · イスラエル/パレスチナ
31.77°N 35.21°E · イスラエル/パレスチナ
関わった人(1)
サラディンAD1137年頃–AD1193年 · 当人本文
ハッティンの戦いで十字軍の主力を破り、 その3か月後にエルサレムを取った。
88年ぶりになる。
降伏の条件が交渉された。 住民は身代金を払えば退去できる。 払えない者について、 サラディンの弟が一定数の解放を願い出て、認められた。 自らも数千人を解放している。
1099年の虐殺と比べられる。
聖墳墓教会は破壊されなかった。 キリスト教徒の巡礼も認められた。
敵側の記録に、その寛大さが残っている。 ヨーロッパでは、騎士道の理想像として 中世を通じて語られた。 ダンテは『神曲』で、彼を地獄の第一圏—— 罰を受けない場所に置いている。
一方で、ハッティンの後に テンプル騎士団とホスピタル騎士団の捕虜は処刑している。 すべての場面で寛大だったわけではない。