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Person / 人

華佗

Hua Tuo
? – AD208年頃
後漢重要度 4

概要

沛国の人。麻沸散で麻酔をして腹を切り、腸を洗って縫った、と『三国志』。五禽戯。虎、鹿、熊、猿、鳥。体操。「私は本当は儒者になりたかった」。曹操の侍医を嫌がって帰った。獄で死に、医書は焼かれた。名前だけが「名医」の代名詞に。

関わったできごと(1)

華佗の死AD208年頃 · 医者

本文

華佗。元化。旉。沛国譙。曹操と同じ県。 「養性」。「百歳のようで壮容」。 陳珪が孝廉に推し、太尉黄琬が辟召した。行かなかった。 「儒者になりたかった」。 麻沸散。腹を切る。腸を洗う。 「四五日で癒え、一月で平復」。 五禽戯。 弟子。呉普。90歳で歯が抜けず。樊阿。針。「私の針は腹背に一二寸入れる」。100余歳。 広陵太守陳登。「魚の生食で虫」。吐かせた。「三年後にまた」。三年後、華佗がいなかった。死んだ。 「頭風」。曹操。 「家に帰る」。 「妻が病気」。 「鼠のような奴」。 獄。 「一巻の書」。焼いた。 曹沖。 「私の頭風は華佗がいれば」。

『後漢書』方術伝。『三国志』方技伝。 麻酔。「麻沸散」。1800年前に腹を開いた記述。 「処方が残っていない」。 「アヘン」「曼陀羅」「大麻」。 中国医学は、彼のあと、外科をやめた。「身体髪膚、これを父母に受く」。 華佗は例外で、例外が焼かれた。 陳寅恪。1930年。「三国志曹沖華佗伝与仏教故事」。インドの説話。「アガダ」。「華佗」の音。「腹を切る」も仏典に。「華佗の話は、インドの話が中国の医者に貼られた」。 「華佗はいたが、話は借り物」。 反論も多い。 関羽の刮骨。演義。「骨を削る間、関羽は碁を打っていた」。正史では医者の名はなく、関羽は骨を削らせて酒を飲んだ、と。 華佗は208年に死に、関羽の傷は219年。演義は10年ずらした。 「華佗再世」。 安徽の亳州に華祖庵。 「神医」。 医書は焼かれた。 獄吏が受け取っていれば、と誰もが言う。 獄吏は、恐かった。