概要
麻沸散で腹を開いた医者が、曹操の頭痛を診て、「家に帰る」と言って戻らず、獄で殺された。獄吏に医書を渡そうとして、吏が恐れて受け取らず、焼いた。曹操は息子の曹沖が病で死んだとき「華佗を殺したことを悔いる」と言った。
場所
34.03°N 113.85°E · 中国・河南省
関わった人(2)
華佗?–AD208年頃 · 医者曹操155年–220年3月15日 · 殺した本文
華佗。字は元化。沛国譙。曹操と同郷。 「養性の術を暁り、百歳のようでいて壮容」。 「湯薬は数種、分量は手で量った」。「針も数か所」。 「病が内に結んで針薬の及ばないときは、麻沸散を酒で飲ませ、酔って知覚がなくなると、腹背を切って積聚を取り、腸なら洗って縫い、膏を塗る。四五日で癒え、一月で平復」。『三国志』方技伝。 麻酔。1800年前。麻沸散が何か分からない。曼陀羅花か、大麻か。 関羽の腕を削ったのは演義。 五禽戯。「体を動かせ。ただし極まらせるな。動けば穀気が消え、血脈が通じ、病が生じない。戸の枢が朽ちないように」。 弟子の呉普が90歳まで生きた。 曹操の頭風。「これは治らない。長く治療すれば命を延ばせる」。 「家に帰って薬を取る」。妻が病気だと言って戻らない。 曹操は人を送って確かめさせた。「本当に病なら小豆40斛を与えよ。嘘なら連行せよ」。 嘘だった。獄。 荀彧が「華佗の術は本当です。人の命がかかっています」。 「心配するな。この鼠のような奴がいなくても、天下に医者はいる」。 獄で拷問して死んだ。 死ぬ前に一巻の書を獄吏に。「人を活かせる」。獄吏は恐れて受け取らなかった。華佗は焼いた。 曹沖。曹操の末子。13歳で病んで死んだ。「華佗を殺したことを悔いる。この子を死なせた」。 曹操自身の頭風も、死ぬまで治らなかった。
華佗は儒者になりたかった。「士人の道を欲した」。医者は「方技」。 「彼は医者であることを恥じた」。陳寿。 それが、曹操に仕えるのを嫌った理由、と読める。 「華佗」の名は、いま中国で病院の名、薬の名、「華佗再世」という褒め言葉。 麻酔の始まり、と言われる。 証拠は『三国志』の数行だけ。 華佗がインドの医者だった、と陳寅恪は言った。「華佗」は「アガダ」(薬)の音。話はインドの説話に似ている。 本当かどうか、分からない。 「医書は焼かれた」。残っていれば、と2000年言われている。