概要
孫策が置いていった伝国の璽を持ち、「代漢者当塗高」の讖を自分のことと読んで、寿春で「仲」の皇帝を名乗った。誰も認めず、曹操と呂布と孫策に攻められ、2年で兵糧が尽き、蜂蜜を求めて「ない」と言われ、血を吐いて死んだ。
場所
寿春
32.58°N 116.79°E · 中国・安徽省寿県
32.58°N 116.79°E · 中国・安徽省寿県
関わった人(1)
袁術?–AD199年 · 皇帝を名乗った本文
袁術。「四世三公」。汝南袁氏。 袁紹は庶子で、袁術は嫡子。「私の家の奴隷」と袁紹を呼んだ。 董卓のとき南陽。孫堅に董卓と戦わせた。 193年、曹操に敗れて淮南へ。寿春。 孫策の母から伝国の璽を取った、と言われる。孫堅が洛陽の井戸で見つけたもの。 「代漢者当塗高」。「漢に代わる者は塗(道)に当たって高い」。「術」は「路」、「公路」は字。「私のことだ」。 197年、「仲家」。皇帝。 宮殿。妃嬪数百人。「錦の衣、粱肉」。兵は飢えた。 呂布に娘を嫁がせようとして断られ、攻めて負けた。曹操に負けた。孫策が絶縁した。 陳蘭と雷薄が背いた。 199年、璽を袁紹に渡して、袁紹の子袁譚の所へ行こうとした。劉備が道を塞いだ。 江亭。「蜜の水を」。「血の水しかありません」。 「袁術がここまで落ちるとは」。 血を吐いて死んだ。 妻子は廬江の劉勲に。孫策が劉勲を破って、袁術の娘を孫権の後宮に入れた。息子袁耀は呉の郎中。
『三国志』の袁術伝は短い。「奢淫肆欲、徴斂無度、百姓苦之」。 「皇帝を名乗った」ことは、群雄の中で袁術だけ。 曹操も袁紹も、名乗らなかった。名乗るのは死ぬこと、と知っていた。 献帝が生きている間に、漢の臣が皇帝を名乗った。 「僭称」。 演義では、璽を持った愚か者。 「蜜水」の話が、彼の最後として残っている。