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Event / できごと

コンモドゥスの暗殺と五皇帝の年

Assassination of Commodus and the Year of the Five Emperors
AD192年12月31日
重要度 3

概要

闘技場で剣闘士として戦った皇帝が、大晦日に風呂で絞め殺された。翌年、近衛兵が帝位を競売にかけ、四人が名乗り、属州の軍を持つセウェルスが勝った。五賢帝の世紀が終わる。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(2)

コンモドゥスAD161年8月31日–AD192年12月31日 · 皇帝セプティミウス・セウェルスAD145年4月11日–AD211年2月4日 · 勝ち残った

本文

コンモドゥスは31歳で、12年皇帝だった。 父マルクス・アウレリウスの陣中で生まれ育ち、 父の死後すぐにゲルマン戦争を金で終わらせてローマに帰った。

政治を寵臣に任せ、自分は闘技場に出た。 剣闘士として700回以上戦い、負けなかった。 相手は勝たせてくれた。 ダチョウの首を矢で落とし、その首を元老院議員に見せて笑った。 自分をヘラクレスの化身とし、 ローマ市を「コンモディアナ植民市」に改名した。

192年の大晦日、翌日に剣闘士の姿で執政官に就くと決めた。 愛人マルキアと侍従と近衛長官が毒を盛り、 吐き出したので、レスラーのナルキッススに風呂で絞めさせた。

193年。 ペルティナクスが皇帝になり、87日で近衛兵に殺された。 近衛兵は帝位を競売にかけ、ディディウス・ユリアヌスが最高額で買った。 パンノニアの軍がセウェルスを、 シリアの軍がニゲルを、 ブリタニアの軍がアルビヌスを、それぞれ皇帝に立てた。 セウェルスがローマに入り、ユリアヌスは66日で殺された。 残る二人は4年かけて片づけられた。

五賢帝の84年が終わり、軍が皇帝を作る時代が始まった。

同じ時代のできごと

倭国大乱AD178年頃黄巾の乱AD184年董卓の洛陽焼き討ちAD190年曹操の屯田AD196年テルトゥリアヌス『護教論』AD197年呂布の死AD199年2月ナーガールジュナの中論AD200年頃『傷寒論』AD200年頃