概要
後漢末の実力者。赤壁で敗れて中国の統一は遠のき、三国の時代に入る。
関わったできごと(6)
曹操の屯田AD196年 · 命じた呂布の死AD199年2月 · 命じた官渡の戦いAD200年 · 曹操側 · 総指揮赤壁の戦いAD208年 · 曹操側 · 総指揮銅雀台AD210年 · 建てた三国の鼎立AD220年 · 前提を作った本文
宦官の養子の孫になる。 出自としては、名門ではない。
「治世の能臣、乱世の姦雄」と評されたという話が伝わる。
やったことで大きいのが、屯田制になる。
戦乱で荒れた土地に、兵と流民を入れて耕させた。 軍の食糧を自前で確保する。
そして、人材の登用の基準を変えた。 「唯才是挙」——才さえあれば挙げる。 品行に問題があっても構わない、と布告している。
当時、人物の評価は 家柄と徳望で決まっていた。
詩人でもあった。 「短歌行」は、いまも読まれる。
赤壁で敗れ、統一を果たせなかった。
皇帝にならなかった。 息子の代で禅譲を受ける。
『三国志演義』では、悪役として描かれる。