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Person / 人

曹操

Cao Cao
155年 – 220年3月15日(享年65・推定)
後漢重要度 4

概要

後漢末の実力者。赤壁で敗れて中国の統一は遠のき、三国の時代に入る。

関わったできごと(6)

曹操の屯田AD196年 · 命じた呂布の死AD199年2月 · 命じた官渡の戦いAD200年 · 曹操側 · 総指揮赤壁の戦いAD208年 · 曹操側 · 総指揮銅雀台AD210年 · 建てた三国の鼎立AD220年 · 前提を作った

本文

宦官の養子の孫になる。 出自としては、名門ではない。

「治世の能臣、乱世の姦雄」と評されたという話が伝わる。

やったことで大きいのが、屯田制になる。

戦乱で荒れた土地に、兵と流民を入れて耕させた。 軍の食糧を自前で確保する。

そして、人材の登用の基準を変えた。 「唯才是挙」——才さえあれば挙げる。 品行に問題があっても構わない、と布告している。

当時、人物の評価は 家柄と徳望で決まっていた。

詩人でもあった。 「短歌行」は、いまも読まれる。

赤壁で敗れ、統一を果たせなかった。

皇帝にならなかった。 息子の代で禅譲を受ける。

『三国志演義』では、悪役として描かれる。

動画(1)

スタートアップから天下を獲った英雄・曹操 【公開収録!番外編 #14】COTEN RADIO歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO演義の悪役像ではなく、人材登用と屯田の制度を作った統治者として扱う