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Person / 人

桓温

Huan Wen
AD312年 – AD373年(享年61・推定)
東晋重要度 3

概要

父の仇を討ち、皇帝の娘婿になり、347年に蜀を取り、三度北伐した。「名を流せないなら悪名でも」。皇帝を廃し、九錫を求め、謝安が引き延ばしている間に死んだ。息子の桓玄が30年後に本当に皇帝を名乗り、すぐ滅んだ。

関わったできごと(1)

桓温の北伐AD354年 · 将軍

本文

桓温。譙国龍亢。312年。 温嶠が赤子の彼を見て「英物」と言い、父がその「温」を名にした。 父桓彝は蘇峻の乱で守っていた涇県が落ちて江播に殺された。桓温15歳。 江播が死んだとき、息子3人が喪の席に刀を隠していた。桓温は弔問客の振りをして入り、3人を殺した。18歳。名を知られた。

明帝の娘の婿。345年、荊州。西の半分。 347年、1万で蜀の成漢を取った。40年ぶりに蜀が晋に。 李勢の妹を妾にした。公主が刀を持って部屋に入ると、妹は髪をとかしていて「国が滅んで家が滅んで私は死にたい」。公主は刀を捨てて「私が見ても可哀想。ましてあの老いぼれには」。我見猶憐。

殷浩が桓温を抑えるために北伐して負け、桓温が弾劾して庶人にした。殷浩は一日中空に「咄咄怪事」と指で書いた。 354年、356年、369年。三度の北伐。灞上の老人、洛陽の柳、枋頭の敗北。 郗超が「皇帝を廃して威を立てる」。371年、廃帝。簡文帝は会うたびに泣いた。 373年、新亭。壁の後ろの兵。王坦之は笏を逆さに持ち、謝安は笑った。九錫を待って死んだ。62歳。

「劉琨に似ていると言われた」。老婆が「似ている。だが劉琨はもっと背が高く目が大きい」。何日も不機嫌だった。 「名を後世に流す能わずんば、また遺臭万年たらん」。枕を撫でて。 末子桓玄が403年に楚を建て、翌年劉裕に殺された。桓氏は滅んだ。 晋書は王敦と並べて叛逆の巻に入れた。英雄と逆臣。半分ずつ。