概要
18歳で初陣、20歳で河西を取り、22歳で匈奴の祭祀の地まで攻めた。「匈奴が滅びぬうちは家など要らぬ」と言い、24歳で死んだ。
関わったできごと(1)
霍去病の河西遠征BC121年 · 総指揮本文
衛青の姉の子で、母は衛皇后の姉になる。
外戚として、少年のころから武帝の近くにいた。
18歳で衛青の遠征に加わり、 800騎で本隊から離れて匈奴の後方を突いた。
功で列侯になる。
20歳、河西へ二度遠征した。
騎兵だけで、補給を持たず、 敵の家畜を奪って進む。
匈奴の祭天の金人を奪い、 渾邪王を降した。
河西回廊が漢のものになる。
22歳、衛青と二手に分かれて草原の奥へ行った。
匈奴の祭祀の山まで達し、そこで天を祭った。
匈奴は北へ逃げた。
24歳で病死した。
原因は分からない。
「匈奴が滅びぬうちは家など要らぬ」と言って、 武帝が建てた邸宅を断った、と伝わる。
墓は祁連山の形に築かれた。
馬が匈奴を踏む石像が、その前にある。