概要
20歳の将軍が匈奴を河西回廊から追い、漢は四つの郡を置いた。西域への道がここで開き、敦煌が最初の関になる。
場所
敦煌
40.14°N 94.66°E · 中国・甘粛省
40.14°N 94.66°E · 中国・甘粛省
関わった人(1)
霍去病BC140年–BC117年 · 総指揮本文
衛青の姉が皇后、衛青の甥が霍去病になる。
外戚として引き立てられ、 18歳で初陣、800騎で匈奴の後方を突いて名を上げた。
BC121年、20歳。
春と夏、二度河西へ遠征した。
河西回廊。
祁連山の北の細長い草地で、 匈奴の王たちの牧地だった。
夏の遠征で、匈奴の休屠王の祭天の金人を奪う。
匈奴の渾邪王が降った。
漢は四つの郡を置いた。
武威、張掖、酒泉、敦煌。
西域への道が、ここで開く。
匈奴の歌が伝わる。
「祁連山を失い、家畜が育たない。 焉支山を失い、女の顔から色が消えた」。
霍去病は24歳で死ぬ。
「匈奴が滅びぬうちは家など要らぬ」と言って、 邸宅を断ったと伝わる。
出典(1)
司馬遷 『史記』衛将軍驃騎列伝