概要
武帝が五経博士を置き、董仲舒の献策で儒学が国の学問になった。以後2000年、官僚は儒学の経典で選ばれる。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
董仲舒BC179年頃–BC104年頃 · 献策本文
漢は、秦の法家の統治を引き継いでいた。
初めの60年は、黄老の無為の政治で休ませた。
武帝が、それを変える。
賢良対策で董仲舒が答えた。
学問を一つに定め、 儒学以外の学派を官職から退けよ、と。
五経博士が置かれた。
『詩』『書』『礼』『易』『春秋』。
その学生が官僚に採られる。
太学が作られ、数十年で数万人になる。
皇帝の統治に、儒教の枠がはまった。
天と人は感応する。
皇帝が道を誤れば、天が災異で示す。
皇帝を縛る論理として使われた。
同時に、儒学は法家の実務を取り込んでいる。
外は儒、内は法。
その形が、2000年続く。
科挙が儒学の経典で行われるのも、 ここから始まる。
出典(1)
班固 『漢書』董仲舒伝