概要
第三次ポエニ戦争の末、市は破壊され住民は売られた。地中海西部にローマの敵はいなくなった。
場所
カルタゴ
36.85°N 10.32°E · チュニジア・チュニス県
36.85°N 10.32°E · チュニジア・チュニス県
関わった人(1)
小スキピオBC185年(BC184年説あり)–BC129年 · ローマ側 · 総指揮本文
第三次ポエニ戦争に、軍事的な必要はほとんど無かった。 カルタゴは50年前の条約で牙を抜かれている。
大カトーが元老院での発言のたびに 「なおカルタゴは滅ぼされるべきである」と付け加えた話は有名だが、 反対した者もいる。 小スキピオの養祖父の友人ナシカは、 恐れる相手がいなくなればローマは内側から腐ると論じた。
包囲は3年に及んだ。 最後の市街戦は6日続き、家から家へ火が回った。 生き残った5万人が奴隷として売られ、市は取り壊された。 塩を撒いたという話は19世紀の創作とされる。
小スキピオが燃える市を見ながら、 いつかローマも同じ日を迎えると言って泣いた—— と、そばにいたポリュビオスが書いている。
出典(1)
塩野七生 『ローマ人の物語』II ハンニバル戦記