概要
匈奴を挟撃する同盟を探して送られた使者が、中央アジアの情報を持ち帰った。絹の道の始まり。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
漢の武帝BC156年–BC87年 · 派遣本文
目的は交易ではなかった。 匈奴を東西から挟む同盟相手を探す、軍事の使節になる。
出発してすぐ匈奴に捕まり、10年抑留された。 現地で妻を娶り、子も生まれている。 それでも節(使者の証)を手放さず、逃げて西へ進んだ。
目当ての大月氏はもう戦う気が無かった。 同盟は成らない。 帰国したのは13年後、出発時100人余りが2人になっていた。
持ち帰ったのは情報だった。 西に、漢の知らない国々がいくつもある。 汗血馬という優れた馬がいる。 そして、四川の産物がインド経由でそこまで届いている。
武帝はこれを聞いて西域経営に乗り出した。 「絹の道」と呼ばれる交通が、 失敗した外交使節の副産物として開かれたことになる。
出典(2)
班固 『漢書』西域伝
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第II部 諸文明間の平衡状態(BC500〜AD1500年)