概要
10歳で「王」として戴冠した。女王ではなく王の称号で。婚約者を捨てて、国のために異教の大公と結婚する。クラクフ大学を再建し、25歳で産褥で死んだ。聖人になっている。
所属
ポーランド王国関わったできごと(1)
クレヴォの合同AD1385年8月14日 · 女王本文
ハンガリー王ラヨシュ1世の娘で、 父はポーランドの王も兼ねていた。 父が死に、姉がハンガリーを継ぎ、10歳のヤドヴィガがポーランドに来た。
女王ではなく「王」(レックス)として戴冠した。 女王の夫が王になることを、貴族が避けたためだった。
オーストリアのヴィルヘルムと婚約していた。 ヴィルヘルムがクラクフに来て結婚を迫ったとき、 城の門を自分で開けようとして止められた、と伝説は言う。 貴族の求めに従い、ヨガイラと結婚した。
宝石を売ってクラクフ大学を再建した。 夫の名がつくべき大学に、ヤギェウォの名がつくのは、そのためになる。 1399年、初めての子を産んで、子とともに死んだ。 25歳。 1997年に聖人になった。