概要
ダルマティア生まれ。ローマで学び、砂漠で修行し、ヘブライ語を学び、ローマの貴婦人たちに聖書を教え、噂で追われてベツレヘムに移った。ラテン語聖書を訳し、論争で誰とでも喧嘩した。絵では獅子と髑髏と一緒に描かれる。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
ヒエロニムスのウルガタAD405年 · 訳者本文
ダルマティアのストリドン、 いまのクロアチアとスロヴェニアの境のどこか。 ローマで文法家ドナトゥスに学び、 キケロとウェルギリウスを暗記し、 洗礼を受けた。
トリーアで修道を知り、 アンティオキアの東の砂漠で2年、隠者になった。 病んで、夢を見た。 裁きの座で「お前はキリスト者ではない、キケロ主義者だ」と言われ、 鞭で打たれた。 目覚めると背中に傷があった、と手紙に書く。 それでヘブライ語を学び始めた。 「歯を軋らせる音のような言葉」。
382年、ローマで教皇の秘書。 貴族の寡婦たちに聖書を教えた。 マルケッラ、パウラ、その娘エウストキウム。 処女の生活を勧め、 ローマの聖職者の贅沢を書いて、敵を作った。 パウラの別の娘ブラエシッラが断食で死んで、 噂が広まった。 385年、ローマを出た。 「バビロン」と呼んで。
ベツレヘム。 パウラの金で修道院を建て、 洞窟で訳した。 オリゲネス論争でルフィヌスと絶交し、 ペラギウスを攻撃し、 ヨウィニアヌスとウィギランティウスと争った。 アウグスティヌスとの手紙は、最初は険悪で、のちに和した。 「私は若い頃、あなたの本を知らなかった」。
410年、ローマが落ちた。 「世界を取った都が取られた」。 「私の声は詰まり、口述する言葉が涙で途切れる」。
420年9月30日に死んだ。 ベツレヘムで。 のちに遺体はローマのサンタ・マリア・マッジョーレに移された。 絵では、赤い枢機卿の帽子と、獅子と、髑髏と、石で胸を打つ姿で描かれる。 どれも本人の時代には無かった。