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Person / 人

ヒエロニムス

Jerome
AD347年頃 – AD420年9月30日(享年73・推定)
ローマ帝国重要度 4

概要

ダルマティア生まれ。ローマで学び、砂漠で修行し、ヘブライ語を学び、ローマの貴婦人たちに聖書を教え、噂で追われてベツレヘムに移った。ラテン語聖書を訳し、論争で誰とでも喧嘩した。絵では獅子と髑髏と一緒に描かれる。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

ヒエロニムスのウルガタAD405年 · 訳者

本文

ダルマティアのストリドン、 いまのクロアチアとスロヴェニアの境のどこか。 ローマで文法家ドナトゥスに学び、 キケロとウェルギリウスを暗記し、 洗礼を受けた。

トリーアで修道を知り、 アンティオキアの東の砂漠で2年、隠者になった。 病んで、夢を見た。 裁きの座で「お前はキリスト者ではない、キケロ主義者だ」と言われ、 鞭で打たれた。 目覚めると背中に傷があった、と手紙に書く。 それでヘブライ語を学び始めた。 「歯を軋らせる音のような言葉」。

382年、ローマで教皇の秘書。 貴族の寡婦たちに聖書を教えた。 マルケッラ、パウラ、その娘エウストキウム。 処女の生活を勧め、 ローマの聖職者の贅沢を書いて、敵を作った。 パウラの別の娘ブラエシッラが断食で死んで、 噂が広まった。 385年、ローマを出た。 「バビロン」と呼んで。

ベツレヘム。 パウラの金で修道院を建て、 洞窟で訳した。 オリゲネス論争でルフィヌスと絶交し、 ペラギウスを攻撃し、 ヨウィニアヌスとウィギランティウスと争った。 アウグスティヌスとの手紙は、最初は険悪で、のちに和した。 「私は若い頃、あなたの本を知らなかった」。

410年、ローマが落ちた。 「世界を取った都が取られた」。 「私の声は詰まり、口述する言葉が涙で途切れる」。

420年9月30日に死んだ。 ベツレヘムで。 のちに遺体はローマのサンタ・マリア・マッジョーレに移された。 絵では、赤い枢機卿の帽子と、獅子と、髑髏と、石で胸を打つ姿で描かれる。 どれも本人の時代には無かった。