概要
はじめはヒンドゥーとムスリムの融和を説いた法律家。のちに分離独立を主導し、パキスタンの建国者になる。
関わったできごと(1)
インドの独立AD1947年8月15日 · パキスタン側本文
ロンドンで法律を学び、弁護士として成功した。
当初、ヒンドゥーとムスリムの融和を説いていた。
「ヒンドゥー・ムスリム統一の使徒」と呼ばれた時期がある。
ガンディーとは、方法をめぐって対立した。
大衆運動と宗教的な語りを、 政治に持ち込むべきでないと考えていた。
自身は、酒を飲み、豚肉を食べ、 ウルドゥー語をうまく話せなかったとされる。
1930年代から、分離を主張するようになる。
多数決の民主政では、 ムスリムが恒久的な少数派になる、という論理になる。
「二民族論」を掲げた。
パキスタンが成立した。
その1年余り後、結核で死んだ。
分離のときの混乱を、 どこまで予期していたかは分かっていない。