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Person / 人

ムハンマド・アリー・ジンナー

Muhammad Ali Jinnah
AD1876年12月25日 – AD1948年9月11日(享年71)
パキスタン重要度 4

概要

はじめはヒンドゥーとムスリムの融和を説いた法律家。のちに分離独立を主導し、パキスタンの建国者になる。

関わったできごと(1)

インドの独立AD1947年8月15日 · パキスタン側

本文

ロンドンで法律を学び、弁護士として成功した。

当初、ヒンドゥーとムスリムの融和を説いていた。

「ヒンドゥー・ムスリム統一の使徒」と呼ばれた時期がある。

ガンディーとは、方法をめぐって対立した。

大衆運動と宗教的な語りを、 政治に持ち込むべきでないと考えていた。

自身は、酒を飲み、豚肉を食べ、 ウルドゥー語をうまく話せなかったとされる。

1930年代から、分離を主張するようになる。

多数決の民主政では、 ムスリムが恒久的な少数派になる、という論理になる。

「二民族論」を掲げた。

パキスタンが成立した。

その1年余り後、結核で死んだ。

分離のときの混乱を、 どこまで予期していたかは分かっていない。