概要
ロンドンで人類学を学び、キクユの社会を内側から書いた。マウマウ団の反乱で9年投獄され、出獄して初代大統領になる。
関わったできごと(1)
マウマウ団の反乱1952年 · 投獄された本文
キクユの村に生まれた。生年は本人も正確に知らなかった。 宣教師の学校で学び、ナイロビで働き、政治運動に入った。
1929年にロンドンへ渡り、17年をヨーロッパで過ごした。 モスクワで学び、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで マリノフスキーに人類学を学んでいる。
その成果が『ケニア山のふもと』になる。 キクユの社会を、内側の人間が人類学の作法で書いた最初の本の一つになった。
1946年に帰国し、独立運動の中心になる。 1952年、マウマウ団の指導者として起訴された。 証拠は弱く、主要な証人はのちに買収されたと認めている。 それでも有罪になり、9年収監された。
1961年に釈放され、1963年に独立ケニアの首相、翌年に初代大統領になった。
「忘れて許そう」と繰り返し、入植者の残留を認めた。 一方で、一党支配へ進み、批判者を退けた。 土地の再分配は、多くが有力者の手に渡った。
15年在職し、職にあるまま死んだ。