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Event / できごと

マウマウ団の反乱

Mau Mau uprising
1952年 – 1960年
期間を持つできごと重要度 4

概要

キクユの人びとが、奪われた土地を取り戻そうと蜂起した。イギリスは非常事態を敷き、15万人を収容所に入れた。2013年、政府が拷問を認めて補償に応じている。

場所

ナイロビ
-1.29°N 36.82°E · ケニア

関わった人(1)

ジョモ・ケニヤッタAD1897年頃–AD1978年8月22日 · 投獄された

本文

ケニアの高地は、気候がよく、農地に向いていた。 イギリス人入植者がそこを取り、キクユの人びとは保留地へ移されるか、 自分の土地で小作になった。

1952年、抵抗運動が武装闘争に入った。 参加者は誓いの儀式で結束した。 イギリスは非常事態を宣言する。

以後8年の記録は、長く公開されなかった。 15万人以上が収容所や監視下の村に入れられ、 拷問が組織的に行われた。 死者は、公式には1万1000人。研究者の推定はもっと多い。

イギリス側の死者は、入植者32人を含めて200人ほどになる。

ジョモ・ケニヤッタは反乱の指導者として起訴され、9年収監された。 関与の証拠は弱く、裁判は政治的だったと今では見られている。 出獄した彼が、1963年に独立ケニアの首相になる。

2011年、ロンドンの倉庫から関連文書が「発見」された。 2013年、イギリス政府は拷問を認め、生存者に補償を払った。

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