概要
自費でクックの第一回航海に乗り込み、数千の標本を持ち帰った。以後41年、王立協会の会長として科学と植民地を結びつける。
関わったできごと(1)
クックの太平洋航海1768年 · 同乗した博物学者本文
リンカンシャーの地主の息子で、大学を出ずに植物学に没頭した。 1768年、クックの第一回航海に、自分の金で乗り込む。 助手、画家、召使いを連れ、費用は1万ポンドとされる。 海軍が出した額より多い。
タヒチ、アオテアロア、オーストラリア東岸で、 数千の植物と動物を集めた。 シドニーの南の湾は、彼らが植物を採りすぎたので「ボタニー湾」と名づけられた。
帰国後、41年間、王立協会の会長を務めた。 キュー植物園を世界の植物の集積所にし、 パンノキを西インド諸島へ運ぶ計画を立て(バウンティ号の反乱はその途中で起きた)、 オーストラリアを流刑地にするよう政府に勧めた。
科学者としての業績より、科学を動かす仕組みを作った人になる。
『サピエンス全史』は第15章で、 クックの航海に科学者が乗っていたことを、科学と帝国の結びつきの例にする。 乗っていた科学者の代表が、この人になる。