概要
ケンブリッジの生化学者が、中国語を学び、戦時の中国を旅して、中国の科学技術史を書く仕事に生涯を変えた。全27冊はまだ続いている。
関わったできごと(1)
『中国の科学と文明』の刊行AD1954年 · 著者本文
ロンドンの医師の家に生まれた。 ケンブリッジで生化学を学び、20代で発生生物学の教科書を書いた。 その分野では既に一流だった。
1937年、研究室に来た中国人留学生から中国語を学びはじめる。 その一人、魯桂珍とは生涯の共同研究者になり、 最初の妻の死後、89歳で結婚した。
1942年、英国政府の科学参事官として中国へ渡った。 戦時下、内陸に疎開した大学と研究所を回り、 2万kmを旅して、物資と情報を届けた。
そこで、中国の技術の蓄積の大きさを知る。 帰国後、その歴史を書く仕事に人生を切り替えた。
ユネスコの初代の自然科学部門の長を務め、 朝鮮戦争で細菌兵器が使われたという調査団に加わって、 西側から強い批判を浴びた時期もある。
『中国の科学と文明』は、彼の死後も続いている。 一人の人間の好奇心が、一つの研究所になった。