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Person / 人

ラデン・アジェン・カルティニ

Raden Ajeng Kartini
AD1879年4月21日 – AD1904年9月17日(享年25)
オランダ領東インド重要度 3

概要

貴族の娘として12歳で家に閉じ込められ、手紙で外の世界と議論しつづけた。その書簡集がインドネシアの女子教育を動かす。

関わったできごと(1)

カルティニの書簡AD1911年(書簡集の出版) · 書き手

本文

ジャワの貴族の娘に生まれた。

オランダ語の学校に12歳まで通い、 そこで教育を打ち切られた。

貴族の娘は結婚まで家から出ない慣習になる。

「ペインギタン(閉じ込め)」と呼ばれた。

外に出られないまま、手紙を書きつづけた。

相手はオランダの友人たちになる。

内容が、そのまま議論になっている。

女子教育、一夫多妻、身分制、 そしてオランダの統治そのもの。

自分より恵まれない同胞のために 何ができるかを繰り返し書いた。

24歳で、四人目の妻として嫁いだ。

夫は理解があり、女学校を開くことを許した。

その翌年、出産の4日後に死ぬ。25歳。

死後、書簡集がオランダで出版された。

『暗黒を越えて光へ』。

その本が、インドネシアの女子教育を動かす。