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Person / 人

楠木正成

Kusunoki Masashige
AD1294年 – AD1336年7月4日(享年42・推定)
日本重要度 4

概要

河内の土豪が後醍醐の夢に現れた、と『太平記』は言う。赤坂と千早の城で幕府の大軍を翻弄した。湊川で死ぬと知って出陣し、弟と「七度生まれ変わって朝敵を滅ぼす」と言って刺し違えた。明治に大楠公になり、皇居の前に騎馬像が立つ。

関わったできごと(2)

建武の新政AD1333年 · 忠臣湊川の戦いAD1336年7月4日 · 戦死

本文

楠木。 河内。 赤坂。 悪党。 「悪党」は、 荘園の支配に従わない武装集団。 散所。 水銀? 金剛山の。 出自は分からない。 橘氏、と自称。 「多聞」。 幼名。 信貴山の毘沙門天。 「兵衛尉」。 検非違使? 得宗の被官? 「駿河の楠木」。 北条の御家人だった、とも。

1331年8月。 後醍醐の夢。 「南に枝を伸ばした木」。 「木」に「南」。 「楠」。 『太平記』。 9月、笠置。 参上。 「正成一人が生きていれば、 帝の運は開ける」。 10月、赤坂城。 「にわか造りの城」。 幕府の大軍。 「熱湯」「大木」「藁人形」。 自害を装って、 消えた。 1332年12月、千早城。 金剛山の。 「1000」対「10万」。 100日。 「千早の水」。 「千早を落とせない幕府」。 各地で反乱。 その間に。 「千早が幕府を滅ぼした」。

建武。 河内守。 記録所。 雑訴決断所。 「正成、 今日は帝の側にあり」。 1335年12月、 京で。 尊氏。 「尊氏を追討するな」と、 言った、とも。 1336年1月、京。 尊氏を追い出した。 「尊氏を九州に逃がしたのは、 私の失敗」。 5月。 「比叡山へ」。 坊門清忠。 「帝が二度も逃げるのは」。 「臣として、 命令に従います」。 桜井。 正行。 「あなたは河内へ。 一族を守れ。 帝に忠を尽くせ」。 「菊水」。 湊川。 「七生」。

正行。 1348年、四条畷。 「かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」。 如意輪寺の扉に、 鏃で。 正儀。 弟。 北朝に降り、 また南朝に。 「楠木」は、 南朝と共に、 消えた。

1559年。 楠木正虎。 松永久秀の右筆。 「朝敵」の赦免を願い出た。 1592年、 正成の子孫、と称する。 1692年、 光圀。 1868年、 「大楠公」。 1872年、 湊川神社。 別格官幣社。 「建武中興十五社」。 正成が、 一番。 1900年、 皇居前。 高村光雲。 住友の献納。 「別子銅山の200年」。 1935年、 「楠公六百年祭」。 「楠公精神」。 1945年、 特攻隊。 「七生報国」。 鉢巻に。 戦後。 教科書から。 消えた。 像は、 残った。