概要
常陸の農民の子。伊能忠敬に測量を習った。1808年、松田伝十郎と樺太へ。1809年、一人で北端を回り、海峡を渡って大陸のデレンへ。『東韃地方紀行』。帰って隠密になった。シーボルト事件で高橋景保を密告した、と言われる。
所属
日本関わったできごと(1)
間宮林蔵の樺太探検AD1809年 · 探検本文
間宮林蔵。 1780年頃。常陸。筑波郡上平柳村。 「農民。倫宗」。 「用水の普請で、幕府の役人の目に」。 「村上島之丞」。 1799年、蝦夷地。 「伊能忠敬」。1800年。「測量を習った」。 「南部藩。箱館」。 1803年、西蝦夷地。 1806年、択捉。 1807年、ロシア。フヴォストフ。「番所が襲われた。林蔵は戦うと言った」。 1808年。 1809年。 「デレン」。 「清の役人。『あなたは、どこから』。『日本』。『日本は、どこ』」。 「清の記録に、ない」。 「山丹交易。アイヌが、清の役所で、朝貢して、絹を」。 「蝦夷錦」。 「間宮が、その道を、見た」。 1811年、松前。 「ゴロヴニン」。ロシアの艦長が捕えられた。「林蔵が尋問した。ロシア語を少し」。 「伊能忠敬の測量に、蝦夷の分を」。 1822年、江戸。 「隠密」。 1824年、「英国の捕鯨船。常陸」。 1828年、シーボルト。 「シーボルトから、林蔵に、荷物。反物と手紙」。 「林蔵は、開けずに、勘定奉行へ」。 「景保が」。 「密告者」。 「『間宮は、シーボルトの手紙を、封を切らずに』」。 「『それで、事件が』」。 「『違う。事件は、別の経路で』」。 「分からない」。 1836年、浜田藩。「竹島事件」。密貿易。「林蔵が探った」。 1844年4月13日。 「深川。蛤町」。 「65歳」。 「本立院」。 「『東韃紀行』は、1900年に、公刊」。 「シーボルト『日本』。マミアノセト」。 「『間宮海峡』」。 「『タタール海峡』」。 「ロシアは、『ネヴェリスコイ海峡』と呼ぶ。狭い所を」。 「日本は、『間宮海峡』」。 「1849年、ネヴェリスコイは、『間宮』を知らなかった、と」。 「知っていた」。 「シーボルトの地図を、ロシアは持っていた」。 「つくばみらい市。記念館」。 「彼の生家」。 「農民の家」。