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Person / 人

マリー・アントワネット

Marie Antoinette
AD1755年11月2日 – AD1793年10月16日(享年37)
フランス王国重要度 3

概要

マリア・テレジアの娘として14歳でフランスへ嫁いだ。浪費と外国人への憎しみを一身に受け、「パンがなければ」の言葉を言った証拠は無い。夫の9か月後に処刑された。

関わったできごと(1)

フランス革命1789年 · 王妃

本文

マリア・テレジアの15番目の子になる。

オーストリアとフランスの同盟の証として、 14歳でフランスへ嫁いだ。

国境で、オーストリアの衣服をすべて脱がされた。

「オーストリア女」と、生涯呼ばれる。

7年、子ができなかった。

その間に、浪費と遊興の噂が広がる。

首飾り事件では、本人は無関係だったが 名前だけが使われ、評判が決定的に落ちた。

「パンがなければお菓子を」は、 本人が言ったという証拠が無い。

ルソーの『告白』に似た話があり、 彼女がフランスに来る前に書かれている。

革命後、ヴァレンヌ逃亡を主導したのは彼女だったとされる。

夫の処刑のあと、子どもたちと引き離された。

裁判で、息子への虐待という根拠の無い罪状を突きつけられ、 傍聴席の母親たちに向かって否定した。

1793年10月16日に処刑された。37歳。