概要
マリア・テレジアの娘として14歳でフランスへ嫁いだ。浪費と外国人への憎しみを一身に受け、「パンがなければ」の言葉を言った証拠は無い。夫の9か月後に処刑された。
関わったできごと(1)
フランス革命1789年 · 王妃本文
マリア・テレジアの15番目の子になる。
オーストリアとフランスの同盟の証として、 14歳でフランスへ嫁いだ。
国境で、オーストリアの衣服をすべて脱がされた。
「オーストリア女」と、生涯呼ばれる。
7年、子ができなかった。
その間に、浪費と遊興の噂が広がる。
首飾り事件では、本人は無関係だったが 名前だけが使われ、評判が決定的に落ちた。
「パンがなければお菓子を」は、 本人が言ったという証拠が無い。
ルソーの『告白』に似た話があり、 彼女がフランスに来る前に書かれている。
革命後、ヴァレンヌ逃亡を主導したのは彼女だったとされる。
夫の処刑のあと、子どもたちと引き離された。
裁判で、息子への虐待という根拠の無い罪状を突きつけられ、 傍聴席の母親たちに向かって否定した。
1793年10月16日に処刑された。37歳。