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Person / 人

マリ・キュリー

Marie Curie
AD1867年11月7日 – AD1934年7月4日(享年66)
フランス重要度 5

概要

放射能の研究でノーベル賞を二度受けた。扱った物質が原因とみられる病で死んでいる。

関わったできごと(1)

ラジウムの発見AD1898年 · 当人

本文

ポーランドに生まれた。 当時、女性は大学に入れなかったため、 非合法の「移動大学」で学んでいる。

姉の学費を先に稼ぎ、 その後にパリへ出た。 屋根裏で暮らし、冬に凍えて気を失ったこともあると書き残している。

ピッチブレンドから0.1グラムのラジウムを取り出すのに4年。 数トンの鉱石を、物置小屋で自分で煮て、分けた。

ノーベル賞を二度受けた。 一度目の物理学賞では、 当初、推薦から名前が外されていた。 夫が抗議して加えられている。

夫の死後、既婚の同僚との関係が新聞に書かれ、 二度目の受賞(化学賞)の直前に激しく叩かれた。 「授賞式に来るな」という手紙をアカデミー会員から受け取っている。 それでも行った。

第一次大戦では移動X線車を作り、 自ら前線へ運転していった。