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Person / 人

タイトゥ・ベトゥル

Taytu Betul
AD1851年頃 – AD1918年2月11日(享年67・推定)
エチオピア帝国重要度 3

概要

メネリク2世の皇后。イタリアとの条約の文言の食い違いを見抜き、アドワでは自ら陣を指揮した。アディスアベバの名づけ親でもある。

関わったできごと(1)

アドワの戦いAD1896年3月1日 · 陣を指揮した皇后

本文

メネリク2世の皇后になる。

四度の結婚を経て、40歳で皇后になった。

政治に深く関わっている。

1889年、イタリアとウッチャリ条約を結んだ。

アムハラ語版とイタリア語版で、 一つの条項の意味が違っていた。

エチオピアは外交を「イタリアを通して行える」のか、 「イタリアを通して行わなければならない」のか。

つまり保護国かどうか、という違いになる。

その食い違いを問題にしたのが彼女だった。

イタリア側の主張を拒み、破棄に踏み切る。

アドワの戦いでは、自ら陣を率いた。

包囲した砦の水源を断つ策を出したとされる。

首都の名を「アディスアベバ(新しい花)」と付けたのも彼女になる。

夫の死後、宮廷を追われた。