概要
メネリク2世の皇后。イタリアとの条約の文言の食い違いを見抜き、アドワでは自ら陣を指揮した。アディスアベバの名づけ親でもある。
関わったできごと(1)
アドワの戦いAD1896年3月1日 · 陣を指揮した皇后本文
メネリク2世の皇后になる。
四度の結婚を経て、40歳で皇后になった。
政治に深く関わっている。
1889年、イタリアとウッチャリ条約を結んだ。
アムハラ語版とイタリア語版で、 一つの条項の意味が違っていた。
エチオピアは外交を「イタリアを通して行える」のか、 「イタリアを通して行わなければならない」のか。
つまり保護国かどうか、という違いになる。
その食い違いを問題にしたのが彼女だった。
イタリア側の主張を拒み、破棄に踏み切る。
アドワの戦いでは、自ら陣を率いた。
包囲した砦の水源を断つ策を出したとされる。
首都の名を「アディスアベバ(新しい花)」と付けたのも彼女になる。
夫の死後、宮廷を追われた。