概要
エチオピアがイタリアを破った。アフリカ分割のなかで独立を守り抜いた唯一に近い例になる。
場所
アドワ位置は特定されていない(誤差 ±10km)
14.19°N 38.90°E · エチオピア
14.19°N 38.90°E · エチオピア
関わった人(2)
タイトゥ・ベトゥルAD1851年頃–AD1918年2月11日 · 陣を指揮した皇后メネリク2世AD1844年8月17日–AD1913年12月12日 · エチオピア側 · 総指揮本文
エチオピアが、イタリアを破った。
きっかけは、条約の文言の違いになる。
ウッチャリ条約のイタリア語版には、 エチオピアは対外関係をイタリアを通じて行う、とあった。 つまり保護国になる。
アムハラ語版には、そう書かれていない。 「通じて行うことができる」という選択の表現だった。
メネリク2世は、その解釈を拒否した。
イタリアが軍を送る。
エチオピア側は、10万を超える兵を集めた。 フランスとロシアから武器を買い、 自国の職人にも修理させていた。
地形を知っていた。 イタリア側の地図が不正確で、 部隊が別々の方向へ進んで分断された。
一日で決着した。
アフリカの国が、ヨーロッパの侵略を 正面から撃退した数少ない例になる。
40年後、イタリアが毒ガスを持って戻ってくる。