概要
西南戦争の翌年、不平士族に討たれた。維新の三傑がこの2年で全員いなくなる。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(1)
大久保利通1830年–1878年 · 当人本文
紀尾井坂で、6人の不平士族に襲われた。 斬奸状には、公議を抑え民権を圧したこと、 不要な土木事業で国費を費やしたことなどが挙げられていた。
西南戦争の翌年である。 西郷を死なせた側として憎まれていた。
死後、身辺を調べると多額の借財があった。 公共事業の不足分を自分の名義で借りていたためとされる。 私財を蓄えていなかったことが、その時に分かった。
木戸孝允が前年に病死し、西郷が前年に死に、 この年に大久保が死んだ。 維新の三傑が、2年のうちに全員いなくなる。
後を継いだのは、彼らより一世代若い伊藤博文と山県有朋になる。