概要
ローマ大火の責をキリスト教徒に負わせたと伝わる。反乱に追われて自死し、王朝が絶えた。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
ローマ大火AD64年7月 · 当時の皇帝本文
16歳で即位した。最初の5年は、 師のセネカと近衛長官ブッルスが補佐して評判がよかった。
母アグリッピナを殺し、妻を殺し、 セネカに自死を命じたあたりから記録は暗くなる。 ただし史料はタキトゥス、スエトニウス、ディオで、 いずれも元老院寄りの立場から書かれている。 元老院を軽んじた皇帝の評判が良く書かれることはない。
64年のローマ大火のとき、 竪琴を弾いて眺めていたという話は、 本人が現場にいなかったという記述と矛盾する。 放火の噂を打ち消すためにキリスト教徒を犯人としたことは、 複数の史料が伝える。
芸術家として認められたがった。 ギリシアの競技会に出て優勝を買っている。 反乱に追われて自死するとき、 「なんという芸術家が死ぬことか」と言ったと伝わる。