概要
市の大半が焼けた。ネロが放火犯としてキリスト教徒を処断したとタキトゥスは書く。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
ネロ37年12月15日–68年6月9日 · 当時の皇帝本文
6日燃え、いったん収まり、また3日燃えた。
市の14区のうち、3区が全焼、7区が半焼した。
タキトゥスによれば、 放火の噂が立ったため、ネロは キリスト教徒を犯人として処断した。
火あぶりにして庭園の灯りにした、という記述がある。
「ネロが竪琴を弾きながら眺めていた」という話は、 彼が現場にいなかったという記述と矛盾する。
タキトゥス自身、放火説を噂として書いている。
火事の後、都市が造り直された。 道幅を広げ、建物の高さを制限し、 石造りを義務づけ、消火用の水を確保させた。
同時に、焼けた土地に 巨大な私的宮殿(黄金宮殿)を建てた。 それが、また噂を呼ぶことになる。
出典(1)
塩野七生 『ローマ人の物語』VII 悪名高き皇帝たち