概要
三国同盟の一角の王であり、詩人であり、技師でもあった。堤防を築いて湖の塩水と真水を分けている。
関わったできごと(1)
テスココ湖の堤防AD1449年 · 設計本文
テスココの王であり、詩人でもあった。
父が殺され、木の上に隠れてそれを見たと伝わる。
亡命し、戻って王位を回復した。
三国同盟の一角として、アステカの拡大を支えた。
同時に、技師でもある。
テノチティトランを守るために、 16キロの堤防を築いた。
湖の塩水と真水を分ける。
水道橋も設計した。
そして、詩を残している。
「われらは永遠にこの地にあるのではない。 ただ一度、過ぎてゆくのみ」。
人身供犠に消極的だったという記述がある。
「知られざる神」に捧げる神殿を建て、 そこに像を置かなかった、と。
その記述は、 スペイン征服後にキリスト教の側から 整えられた可能性が指摘されている。