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Person / 人

オットー1世

Otto I
AD912年11月23日 – AD973年5月7日(享年60)
東フランク王国重要度 3

概要

マジャール人を破り、教皇から帝冠を受けた。のちに神聖ローマ帝国と呼ばれる枠組みの始まり。

関わったできごと(2)

レヒフェルトの戦いAD955年 · 総指揮オットー1世の戴冠AD962年2月2日 · 当人

本文

レヒフェルトでマジャール人を破った。

50年以上続いた西への襲撃が、そこで止まる。

その勝利で権威を固め、7年後に帝冠を受けた。

カール大帝の戴冠から162年になる。

やり方で特徴的なのが、 聖職者を統治に使ったことになる。

司教と修道院長に領地と権限を与えた。

世俗の諸侯と違って、聖職者は世襲しない。 死ねば、任命権が王に戻る。

領地が子に受け継がれて independent になることを防げる。

「帝国教会政策」と呼ばれる。

そのぶん、司教の任命権が重要になる。

100年後、その任命権をめぐって 皇帝と教皇が争うことになる。

カノッサへ続く道が、ここで敷かれた。