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Person / 人

ピピン3世(小ピピン)

Pepin the Short
AD714年 – AD768年(享年54・推定)
フランク王国重要度 3

概要

宮宰として、教皇に「力のない王と力のある者、どちらが王であるべきか」と問い、答えを得て、最後のメロヴィング王を修道院に送った。イタリアに二度遠征してランゴバルドから土地を取り、教皇に寄進した。

所属

フランク王国

関わったできごと(1)

ピピンの寄進AD756年 · 王

本文

ピピヌス。 カール・マルテルの次男。 「小ピピン」は後世の名。 背が低かったかどうか、分からない。 サン・ドニで育ち、 741年、兄カールマンとフランクを分けた。 747年、カールマンが修道士になってモンテ・カッシーノへ。 ピピンが一人で宮宰。

メロヴィングの王、キルデリク3世。 「何もしない王」(レックス・ニヒル・ファキエンス)。 アインハルトの言葉。 「長い髪と髭で玉座に座り、 牛車で議会に行く」。

750年、教皇ザカリアスに使者。 「フランクの王は王の名を持ちながら、力がない。 これは良いことか」。 ザカリアス。 「力を持つ者が王と呼ばれるほうが良い」。 751年、ソワソン。 キルデリクは髪を切られ、 サン・ベルタン修道院へ。 ピピンは王に選ばれ、 ボニファティウスが油を注いだ。 フランクで最初の塗油。 旧約の王のように。

753年、教皇ステファヌス2世がアルプスを越えた。 ランゴバルドのアイストゥルフがラヴェンナを取り、ローマを脅かしていた。 754年1月、ポンティオン。 ピピンは教皇の馬の手綱を取って歩いた。 7月、サン・ドニ。 教皇がピピンと二人の息子に油を注ぎ、 「ローマ人の守護者」(パトリキウス・ロマノルム)とした。 フランク人が他の家から王を選ぶことを禁じた。

754年と756年、イタリア。 アイストゥルフを二度囲み、 ラヴェンナからローマまでの土地を取り、 教皇に渡した。 「ピピンの寄進」。 ビザンツの使者が「ラヴェンナは皇帝のもの」と言い、 ピピンは「聖ペテロのために取った」と答えた。 教皇領。 1870年まで。

759年、ナルボンヌ。アラブから取り返した。 768年、アキテーヌ。 9年の遠征でエウドの孫を降し、 帰る途中、サン・ドニで死んだ。54歳。 うつ伏せに埋めるよう遺言した。 父の罪のために。 王国を二人の息子に分けた。 カールとカールマン。 カールマンは3年で死んだ。