概要
アヴィニョンの教会でラウラを見て、生涯366篇のソネットを書いた。キケロの手紙を見つけ、古代を「光」、その後を「暗黒」と呼んで、ルネサンスの言葉を作った。ヴァントゥー山に登って景色のために登った最初の人とされる。机で本を読んだまま死んだ。
関わったできごと(1)
ペトラルカの桂冠AD1341年4月8日 · 詩人本文
フランチェスコ・ペトラルカ。 1304年7月20日、アレッツォ。 父ペトラッコ。 公証人。 ダンテと同じ年に、 同じ理由で、 フィレンツェから追放された。 白派。 1312年、アヴィニョン。 カルパントラ。 モンペリエ、ボローニャ、法学。 「法学の7年を捨てた」。 父が死んで、 1326年、アヴィニョン。 教皇庁。 「バビロン」。 下級の聖職。 コロンナ家。 ジョヴァンニ・コロンナ枢機卿。 1327年4月6日、聖金曜日。 サント・クレール教会。 ラウラ。 「ラウラは私の目の前に最初に現れた、 私の若い日の初めに」。 ラウラ・デ・ノーヴェス? ユーグ・ド・サドの妻? 11人の子? 分からない。 実在したか、 「ラウロ」(月桂樹)の言葉遊びか。 コロンナ枢機卿の弟が疑った。 「ラウラは、 私の詩の中の月桂樹だ」。 1348年4月6日、 同じ日に、 ペスト。 ラウラが死んだ。 ウェルギリウスの写本の見返しに、 書いた。 「1327年4月6日の朝、 私は彼女を初めて見た。 1348年4月6日の同じ時刻に、 彼女はこの世を去った」。 21年。 「生前のラウラの詩」263篇、 「死後のラウラの詩」103篇。 『カンツォニエーレ』。 『レールム・ヴルガリウム・フラグメンタ』。 「俗語の断片」。 ソネット317、 カンツォーネ29、 セスティーナ9、 バッラータ7、 マドリガーレ4。 「ペトラルキズモ」。 ヨーロッパの抒情詩は、 300年、 これの模倣。 「私は詩を書いている、 女性が読む」。 シェイクスピアの130番。 「私の恋人の目は太陽に似ていない」。 ペトラルカへの反歌。
1336年4月26日、 ヴァントゥー山。 弟ゲラルドと。 1912メートル。 「登るために登った」。 頂上で『告白』を開いた。 アウグスティヌス。 「人は山や海や星を見に行くが、 自分自身を見ない」。 「私は自分に腹を立てた」。 「アルピニズムの始まり」。 「近代の最初の人」。 ブルクハルト。 手紙は後で書かれた、と。 1353年頃。 「創作」。
キケロ。 1333年、リエージュ、『アルキアース弁護』。 1345年、ヴェローナ、『アッティクス宛書簡』。 「私は生きている人に手紙を書くように、 死んだキケロに手紙を書いた」。 『親交書簡集』。 「古典の再発見」。 「暗黒時代」。 「テネブラエ」。 自分の時代を。 「私は二つの民の境に立っている」。
ヴォークリューズ。 ソルグの泉。 「私はここで、 一人で、 本と共に」。 1343年、 アヴィニョン、 「愛の娘」。 息子ジョヴァンニ、 娘フランチェスカ。 聖職者だが。 1350年、 ボッカッチョ。 フィレンツェ。 1353年、 イタリア。 ミラノ。 ヴィスコンティ。 「僭主に仕えている」。 ボッカッチョが責めた。 パドヴァ、 ヴェネツィア。 「私の本を、 ヴェネツィアに」。 最初の公共図書館、 になるはずだった。 散逸した。 1370年、 アルクァ。 1374年7月18日。 70歳の前日。 「ウェルギリウスの上に頭を置いて」。 ヴェルギリウス写本、 いまアンブロジアーナ。 シモーネ・マルティーニの絵の口絵。 「彼の遺言。 ボッカッチョに、 冬の夜のためのガウンを買う金50フィオリーノ」。