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Person / 人

プリトヴィーラージ3世

Prithviraj Chauhan
AD1166年頃 – AD1192年(享年26・推定)
デリー・スルタン朝重要度 2

概要

デリーとアジメールのラージプート王。タラーインで一度勝ち、翌年負けて殺された。ヒンドゥーの側の最後の王として、叙事詩と映画で語られ続けている。

所属

デリー・スルタン朝

関わったできごと(1)

タラーインの戦いAD1192年 · 敗者

本文

チャウハーン(チャーハマーナ)朝はアジメールを本拠とし、 12世紀にデリーを取っていた。 プリトヴィーラージは11歳で王になった。

12世紀の北インドは、ラージプートの諸王が互いに争っていた。 カナウジのガハダヴァーラ朝、 グジャラートのチャウルキヤ朝、 そしてチャウハーン。 プリトヴィーラージはカナウジの王女サンヨーギターを その父の反対を押して連れ去った、と叙事詩は言う。 カナウジのジャヤチャンドラは、その恨みでゴール朝に味方したことになっている。 史実かどうかは分からない。

1191年、タラーインで勝った。 逃げるゴール軍を追わなかった。 1192年、同じ場所で負けた。 捕えられて殺された。 叙事詩『プリトヴィーラージ・ラーソー』では、 ガズナに連れて行かれて目を潰され、 声を頼りに矢でムハンマドを射殺してから死んだことになっている。 これも史実ではない。

インドではヒンドゥーの最後の皇帝として語られ、 デリーの「キラ・ライ・ピトーラ」(プリトヴィーラージの城)の 城壁の跡が、クトゥブ・ミナールのそばに残っている。 2022年にボリウッドが映画にした。