← 地図で見る
Event / できごと

タラーインの戦い

Second Battle of Tarain
AD1192年
重要度 4

概要

ゴール朝のムハンマドが、前年に負けた相手のラージプート王を、同じ場所で破った。デリーの門が開き、北インドに以後600年、イスラームの王朝が続く。

場所

タラーイン(タラオリ)位置は特定されていない(誤差 ±km)
29.78°N 76.98°E · インド・ハリヤーナー州

関わった人(2)

ムハンマド・ゴーリーAD1149年–AD1206年 · 勝者プリトヴィーラージ3世AD1166年頃–AD1192年 · 敗者

本文

ゴール朝はアフガニスタンの山の中の王朝で、 ガズナ朝を倒してから、北インドに出てきた。

1191年、第一回のタラーイン。 ムハンマドはデリーとアジメールの王プリトヴィーラージに負けた。 腕に槍を受け、家臣が馬に抱えて逃がした。 ラージプート軍は追わなかった。

翌年、同じ場所に12万の騎兵で戻った、と伝わる。 数は誇張されている。 ムハンマドは軍を五つに分け、 弓騎兵で襲っては退き、朝から夕方まで繰り返した。 ラージプートの象と重騎兵が疲れたところで、本隊を入れた。 プリトヴィーラージは捕えられ、殺された。

デリーは翌年落ちた。 奴隷出身の将軍クトゥブッディーン・アイバクが留守を任され、 デリーにモスクを建てた。 27のヒンドゥーとジャイナの寺を壊した石材で。 クトゥブ・ミナールの基になる。

1206年にムハンマドが暗殺されると、 アイバクは自分でスルタンを名乗った。 デリー・スルタン朝が始まる。 インドの歴史では、ヒンドゥー王朝の時代と イスラーム王朝の時代の境を、この戦いで引くことが多い。

同じ時代のできごと

ナンマドールの造営AD12世紀頃から17世紀まで法然の専修念仏AD1175年レニャーノの戦いAD1176年5月29日朱熹の白鹿洞書院AD1179年イブン・ルシュドのアリストテレス注釈AD1180年頃イブン・ジュバイルの巡礼記AD1183年壇ノ浦の戦いAD1185年4月25日サラディンのエルサレム奪還AD1187年