概要
カイサリアの法律家で、ベリサリウスの秘書として戦争に従った。『戦史』8巻でその戦争を、『建築について』で皇帝の建物を、『秘史』で皇帝夫妻の悪行を書いた。疫病の記録は、ペストの最初の記述として読まれる。
関わったできごと(1)
プロコピオス『秘史』AD550年頃 · 著者本文
パレスティナのカイサリア。 法律を学び、 527年、ベリサリウスの法律顧問(アセッソル)として仕え始めた。 ペルシア、アフリカ、イタリア。 戦場にいた。 ダラの戦い、 カルタゴ入城、 ローマの包囲。 ローマの包囲では自分でナポリへ食糧と兵を集めに行った。
『戦史』8巻。 「ペルシア戦記」2巻、「ヴァンダル戦記」2巻、「ゴート戦記」4巻。 最初の7巻は550年頃、8巻は553年。 トゥキュディデスを手本にし、 演説を書き、 地理と民族を書き、 自分が見たことと聞いたことを分けて書いた。 542年のコンスタンティノープルの疫病。 「一日に5000人、それから1万人が死んだ」。 「金持ちも貧乏人も、隣人が埋めた」。 ペストの、最初の医学的な記述として読まれる。
『建築について』6巻。 ハギア・ソフィア、 ダラの城壁、 ドナウの砦、 皇帝が建てたすべて。 皇帝の依頼で書いた。
『秘史』。 「なぜ私はこれを書くのか」。 「私が前の本で書いたことは、書き方によって隠さねばならないことがあった」。 「彼らが生きている間に、私は真実を書けなかった」。 「後世のために」。
560年頃、コンスタンティノープルの市長官(都長官)になった、 という記録がある。 同じ名前の別人かもしれない。 死んだ年は分からない。
ギボンは『衰亡史』で、 プロコピオスを主な史料にし、 『秘史』を「毒に満ちた」と言いながら、 その毒を注意深く使った。 テオドラの記述は、 ヴィクトリア朝の英訳では、ラテン語のままにされた。