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Person / 人

プロコピオス

Procopius of Caesarea
AD500年頃 – AD565年頃(享年65・推定)
東ローマ帝国重要度 3

概要

カイサリアの法律家で、ベリサリウスの秘書として戦争に従った。『戦史』8巻でその戦争を、『建築について』で皇帝の建物を、『秘史』で皇帝夫妻の悪行を書いた。疫病の記録は、ペストの最初の記述として読まれる。

関わったできごと(1)

プロコピオス『秘史』AD550年頃 · 著者

本文

パレスティナのカイサリア。 法律を学び、 527年、ベリサリウスの法律顧問(アセッソル)として仕え始めた。 ペルシア、アフリカ、イタリア。 戦場にいた。 ダラの戦い、 カルタゴ入城、 ローマの包囲。 ローマの包囲では自分でナポリへ食糧と兵を集めに行った。

『戦史』8巻。 「ペルシア戦記」2巻、「ヴァンダル戦記」2巻、「ゴート戦記」4巻。 最初の7巻は550年頃、8巻は553年。 トゥキュディデスを手本にし、 演説を書き、 地理と民族を書き、 自分が見たことと聞いたことを分けて書いた。 542年のコンスタンティノープルの疫病。 「一日に5000人、それから1万人が死んだ」。 「金持ちも貧乏人も、隣人が埋めた」。 ペストの、最初の医学的な記述として読まれる。

『建築について』6巻。 ハギア・ソフィア、 ダラの城壁、 ドナウの砦、 皇帝が建てたすべて。 皇帝の依頼で書いた。

『秘史』。 「なぜ私はこれを書くのか」。 「私が前の本で書いたことは、書き方によって隠さねばならないことがあった」。 「彼らが生きている間に、私は真実を書けなかった」。 「後世のために」。

560年頃、コンスタンティノープルの市長官(都長官)になった、 という記録がある。 同じ名前の別人かもしれない。 死んだ年は分からない。

ギボンは『衰亡史』で、 プロコピオスを主な史料にし、 『秘史』を「毒に満ちた」と言いながら、 その毒を注意深く使った。 テオドラの記述は、 ヴィクトリア朝の英訳では、ラテン語のままにされた。