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Person / 人

秦檜

Qin Hui
AD1090年 – AD1155年(享年65・推定)
重要度 2

概要

金に連れ去られ、逃げ帰って宰相になった。和議を進め、岳飛を殺し、18年権力を握った。中国で最も憎まれた宰相で、その名を子に付ける親はいない。油条という揚げ菓子は、この夫婦を揚げたものだと言われる。

所属

関わったできごと(1)

紹興の和議と岳飛の死AD1141年 · 宰相

本文

南京の人。進士に及第し、靖康の変のとき 金が張邦昌を皇帝に立てるのに反対する上書をして、 北へ連れ去られた。

1130年、金の軍から家族ごと逃げ帰ったと言った。 監視を殺して船で逃げた、と。 家族全員が無事なのはおかしい、と当時から疑われた。 金が送り込んだ、という説は宋代からある。

高宗は「よい人が帰ってきた」と喜んで、翌年に宰相にした。 一度罷免され、1138年に戻ってからは死ぬまで18年、宰相だった。 和議を進め、反対する者を左遷し、 岳飛を殺し、韓世忠の兵権を奪い、 自分の子を科挙の首席にしようとした。

高宗は秦檜が死んだとき、 「これで靴の中に短刀を入れて歩かなくてよくなった」と言った、と伝わる。 利用した側も、怖かった。

死後、忠献と諡され、 数十年後に諡を取り上げられた。 杭州の岳飛廟の前で、 妻の王氏と並んで鉄の像が跪いている。 明の時代からずっと、参拝者が唾を吐き、 何度も像が壊されて作り直された。 杭州の油条は「油炸檜」(檜を油で揚げる)から来た、と言われる。

近年、秦檜の子孫が像を立たせるよう求めた、という話が何度か報道された。 いまも跪いている。