概要
独学で膨大な公式を書き溜め、手紙一通でケンブリッジに招かれた。証明を書かずに結論だけを出すことが多く、その多くが後に正しいと確かめられている。
関わったできごと(1)
ラマヌジャンの手紙AD1913年1月16日 · 差出人本文
南インドの貧しいバラモンの家に生まれた。
数学以外の科目に興味が持てず、大学を二度落第した。 奨学金を失い、独学を続けた。
出発点は、図書館で借りた公式集だったとされる。 証明はほとんど載っていない本で、 結果だけが並んでいる。 その形式が、彼の書き方に影響したという見方がある。
港湾事務所の事務員をしながら、 ノートに数千の式を書き溜めた。
ハーディに送った手紙で、人生が変わる。
イギリスでの5年で、 分割数の漸近公式など重要な仕事を残した。 一方、厳格な菜食主義と、戦時下の食糧事情と、 イギリスの寒さで体を壊した。
帰国して1年で死んだ。32歳。
死の床で書いた「モックシータ関数」のノートが 1976年に見つかり、いまも研究が続いている。