概要
デリー・スルタン朝で唯一の女性の君主。4年で貴族に廃され、殺された。
関わったできごと(1)
ラズィーヤの即位AD1236年 · 当人本文
父イルトゥトゥミシュは、 息子たちより娘のほうが向いていると考え、 遺言で後継に指名した。
貴族は従わず、まず兄が立った。 その兄が無能だったため、 彼女は市民に直接訴えて支持を集め、即位する。
女性の衣装をやめ、 男性の外套と帽子で公の場に出た。 象に乗って市中を回り、直接訴えを聞いたと記録される。
四十人衆と呼ばれるトルコ系貴族が反発した。 アビシニア人の側近ヤークートを重用したことが 決定的な口実になる。
4年で廃され、逃れる途中で殺された。
年代記作者ミンハージュは、 王として必要なものをすべて備えていたが 女性であったことが災いした、と書いている。 褒めている文章のなかで、そう書かれている。