概要
デリー・スルタン朝で唯一の女性の君主。4年で貴族に廃され、殺される。
場所
デリー
28.61°N 77.21°E · インド
28.61°N 77.21°E · インド
関わった人(1)
ラズィーヤAD1205年頃–AD1240年10月15日 · 当人本文
父イルトゥトゥミシュは、 息子たちより娘のほうが統治に向いていると考え、 遺言で後継に指名した。
即位すると、女性の衣装をやめて男性の外套と帽子で 公の場に出るようになった。 象に乗って市中を進み、直接訴えを聞いたとされる。
貴族(トルコ系の四十人衆)は、 女性が上に立つことを認めなかった。 アビシニア人の側近を重用したことも反発を招く。
4年で廃位され、逃れる途中で殺された。
同時代の年代記作者ミンハージュは、 彼女を「王として必要な資質をすべて備えていたが、 ただ女性であったことが災いした」と書いている。 評価している側の文章でも、 その一点が欠陥として書かれることになる。