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Event / できごと

バトゥの西征

Batu's western campaign
AD1237年
重要度 4

概要

モンゴル軍が凍った川を道にして冬に進み、ルーシの諸公国を次々に落とした。ハンガリーとポーランドまで達し、大ハーンの死で引き返す。

場所

キーウ
50.45°N 30.52°E · ウクライナ

本文

ヨーロッパの軍は、冬に戦わない。

道が泥になり、川が渡れず、 馬の飼葉が無い。

モンゴルは、冬に進んだ。

川が凍れば、それが道になる。

森と沼の国で、唯一まっすぐ進める道になる。

馬は雪を掘って枯草を食べる。

1237年12月、リャザン。

1238年2月、ウラジーミル。

1240年12月、キエフ。

キエフは、当時ヨーロッパでも大きな都市だった。

城壁が破られ、聖堂に逃げ込んだ人びとの上に 屋根が落ちた。

6年後に通った教皇の使節が、 野原に骨が散らばっていたと書いている。

1241年、二手に分かれた。

北はレグニツァでポーランドとドイツの騎士を、 南はモヒでハンガリー王の軍を、 二日違いで破った。

そしてアドリア海まで行き、 大ハーンの死の知らせで引き返した。

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