概要
バトゥの軍がハンガリー王の軍を橋の上で破った。国の半分の人口が失われたとされる。王はアドリア海の島まで逃げ、モンゴルが去ってから石の城を各地に建てた。
場所
モハーチ
45.99°N 18.68°E · ハンガリー
45.99°N 18.68°E · ハンガリー
本文
1241年の春、バトゥとスブタイの軍がカルパチアを越えた。 同じ月にレグニツァでポーランドとドイツの軍が破られている。
ハンガリー王ベーラ4世はシャヨー川の西岸に陣を敷いた。 モンゴル軍は夜のうちに橋を渡り、別の一隊が川下で渡って回り込んだ。 包囲され、逃げ道を一つだけ開けられて、ハンガリー軍は崩れた。
王はアドリア海のトロギルの島まで逃げた。 モンゴルは翌年の春、オゴデイの死を聞いて引き返した。
ハンガリーの人口の15〜25パーセントが失われたと推定されている。 ベーラは戻ると、諸侯に石の城を建てさせた。 それまで木の砦しかなかった国に、城が並ぶことになる。 「第二の建国者」と呼ばれる理由になった。