概要
10年の在位のうちイングランドにいたのは半年。フランス語で話し、十字軍でサラディンと戦い、帰りに捕えられて身代金で戻った。城攻めの最中に弩の矢を受けて死んだ。射た少年を赦した、と伝わる。
関わったできごと(1)
第三回十字軍のアッコン攻囲AD1191年7月12日 · イングランド王本文
ヘンリー2世とエレノアの三男。 母の領地アキテーヌを継ぎ、 言葉はフランス語とオック語で、英語は話せなかった。 詩を書いた。
父に二度反乱し、二度目に父を降した。 1189年、王になった。 戴冠式の日にロンドンでユダヤ人虐殺が起き、 その翌年ヨークで、包囲されたユダヤ人が城の中で自殺した。
「ロンドンを買う者がいれば売る」と言って、十字軍の金を集めた。 役職も、特権も、スコットランド王の臣従も、売った。 1190年に出発し、シチリアで妹を助け、キプロスを取り、 アッコンを落とし、 捕虜2700人を殺し、 アルスーフでサラディンに勝ち、 エルサレムの手前で二度引き返し、 1192年に休戦して帰った。
帰りにオーストリア公レオポルドに捕まった。 アッコンでレオポルドの旗を堀に投げ捨てていた。 皇帝ハインリヒ6世に売られ、 身代金は15万マルク、イングランドの年収の2〜3倍。 母が集めた。 1194年に帰り、イングランドに数週間いて、フランスに渡った。
以後5年、フランス王フィリップと戦った。 シャトー・ガイヤールを1年で建てた。 1199年、リムーザンの小さな城を囲んでいて、 城壁から少年の射た弩の矢を肩に受けた。 矢を抜くのに失敗して、壊疽で死んだ。 少年を呼んで、赦して、金を与えたと伝わる。 少年はリチャードの死後、皮を剥がれた。
在位10年で、イングランドにいたのは6か月。 それでも「獅子心王」として、 国会議事堂の前に騎馬像が立っている。