概要
日本へ行かないまま、戦時情報局の依頼で日本人論を書いた文化人類学者。人種に優劣は無いと戦前から主張し続けた人でもある。
関わったできごと(1)
『菊と刀』の刊行AD1946年 · 著者本文
生後まもなく父を亡くし、母が泣き続ける姿を見て育った、と自伝の断片に書いている。 幼いころの病で耳が遠く、そのことが人との距離の取り方に影響した。
30代半ばまで、詩を書き、教師をし、結婚生活に行き詰まっていた。 コロンビア大学でフランツ・ボアズに学び、そこから文化人類学者になる。
1934年の『文化の型』で名を知られた。 文化にはそれぞれ違う型があり、優劣では測れない、という考えになる。 1940年には人種主義を正面から否定する本を書いている。 当時のアメリカで、それは政治的な行為だった。
第二次世界大戦中、戦時情報局で敵国の分析にあたった。 日本についての報告が、1946年に『菊と刀』になる。
同性の恋人と長く暮らし、その関係は公にされなかった。 マーガレット・ミードが没後に手紙を編んで出している。
本が出た2年後、コロンビア大学で正教授になった直後に死んだ。 61歳。