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Person / 人

セコイア

Sequoyah
AD1770年頃 – AD1843年8月頃(享年73・推定)
チェロキー国重要度 3

概要

読み書きのできない銀細工師が、白人の「話す紙」を見て、12年かけてチェロキー語の音節文字を作った。数年で部族の大半が読めるようになる。

関わったできごと(1)

チェロキー文字の完成AD1821年 · 作った

本文

テネシーのチェロキーの村に生まれた。 父は白人の商人だったとされるが、本人は英語を話さなかった。 足が不自由で、銀細工と鍛冶で暮らした。

白人が紙に印を付け、遠くの人がそれを読んで同じことを言う。 それを見て、自分の言葉にも同じことができるはずだ、と考えた。

周りは魔術だと疑い、妻が作りかけの紙を焼いたと伝わる。 それでも続け、1821年に85字の音節文字を完成させる。 6歳の娘と離れた場所から文を伝えて見せて、長たちを納得させた。

数年で部族の大半が読めるようになった。 新聞が刷られ、憲法が書かれた。 1830年代、部族はそれでも強制移住させられ、道中で数千人が死んだ。

晩年はメキシコへ渡ったチェロキーを探しに行き、そこで死んだ。 墓の場所は分かっていない。

カリフォルニアの巨木セコイアは、この人の名から付けられたとされる。 それも確かではない。