概要
3歳で失明し、アラブ近代文学の中心になった。ジャーヒリーヤ詩の真正性を疑って論争を起こし、教育の無償化を進めた。
関わったできごと(1)
教育の無償化(エジプト)AD1950年 · 大臣本文
3歳で失明した。
眼病の手当てを、村の理髪師に任せた結果になる。
村の学校で古典を暗記し、 カイロのアズハルへ進み、そこの教え方に反発した。
新設のエジプト大学に移り、 のちにソルボンヌで博士号を取る。
1926年、『ジャーヒリーヤ詩について』を書いた。
イスラーム以前の詩とされるものの多くは 後世の偽作ではないか、という論になる。
方法は、デカルトの懐疑を持ち込んだものだった。
まず疑い、証拠から確かめる。
猛烈な反発が起きた。
議会で問題にされ、大学を追われる。
のちに文部大臣になった。
そこでやったことが、教育の無償化になる。
「教育は水と空気のようなもの」と言った。