概要
下野の名主の子で、栃木県議、衆議院議員。足尾の鉱毒で「亡国に至るを知らざれば之即ち亡国」と演説し、議員を辞めて天皇に直訴した。谷中村に住み込んで、村と共に消えた。遺品は小石と聖書と日記。
所属
日本関わったできごと(1)
足尾鉱毒事件AD1901年12月10日 · 直訴本文
下野国安蘇郡小中村。 名主。 富蔵。 1841年。 「兼三郎」。 17歳で名主。 1868年、 領主六角家の悪政を、 訴えた。 獄。 11か月。 1870年、 江刺県(岩手)。 花輪の役人。 上司の殺害を疑われた。 獄。 3年。 無罪。 1874年、 帰った。 1878年、 区会議員。 1879年、 『栃木新聞』。 1880年、 栃木県議。 自由民権。 1882年、 「県令三島通庸」。 「土木」。 「加波山事件」。 田中は、 逮捕。 1886年、 県議会議長。 1890年、 第一回総選挙。 栃木3区。 立憲改進党。 49歳。 「議員」。 「鉱毒」。 1891年12月。 「第二議会」。 10年。 「議員を、 辞めた」。 1901年10月。 「直訴」。 12月10日。 「幸徳秋水が、 書いた」。 「田中は、 2日で、 暗記した」。 「草稿の、 『皇帝』を、 『陛下』に、 直した」。 「田中は、 白い着物で」。 「手には、 直訴状」。 「馬車の、 30メートル手前で」。 「警官が」。 「田中は、 転んだ」。 「直訴状は、 届かなかった」。 「その夜、 釈放」。 「『狂人』」。 「田中は、 狂っていない」。 「新聞は、 翌日、 全文を載せた」。 「東京の学生、 800人が、 現地へ」。 「鉱毒地救済婦人会」。 「潮田千勢子」。 1902年、 「谷中村」。 1904年、 「移住」。 「田中は、 谷中村の、 農家に」。 「川鍋家」。 1907年、 「強制破壊」。 「16戸」。 「田中は、 残った」。 「残留民」。 「仮小屋」。 1911年、 「渡良瀬川、 利根川の、 調査」。 「田中は、 70歳で、 川を、 歩いた」。 「治水」。 「洪水は、 鉱毒ではなく、 川を、 まっすぐにしたから」。 「川は、 曲がって、 流れるもの」。 1913年8月2日、 「巡回中に、 倒れた」。 「佐野」。 「庭田清四郎家」。 9月4日。 「死んだ」。 「遺品」。 「菅笠、 信玄袋。 中に、 帝国憲法、 新約聖書、 日記3冊、 鼻紙、 河川調査記録、 小石3個」。 「所持金、 なし」。 「無一物」。 「墓は、 6か所」。 「分骨」。 「佐野、 足利、 谷中、 館林、 北川辺、 藤岡」。 「農民が、 分けた」。 「真の文明は、 山を荒らさず、 川を荒らさず、 村を破らず、 人を殺さざるべし」。 1912年6月17日の日記。 「田中は、 最後の日記に、 何を」。 「秋の、 『下野の、 田を、 思う』」。 「谷中村」は、 「渡良瀬遊水地」。 「ヨシ原」。 「谷中湖」。 「1990年」。 「ラムサール」。 「2012年」。 「田中は、 知らない」。 「田中は、 知っていた」。