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Person / 人

テルトゥリアヌス

Tertullian
AD155年頃 – AD220年頃(享年65・推定)
ローマ帝国重要度 3

概要

カルタゴの法律家で、ラテン語で書いた最初のキリスト教著述家。「アテナイがエルサレムと何の関わりがあるか」と哲学を退け、「不合理ゆえに信ず」と言ったとされる。晩年は厳格なモンタノス派に移り、正統からは外れた。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

テルトゥリアヌス『護教論』AD197年 · 著者

本文

生涯のことはほとんど分からない。 ヒエロニムスが百人隊長の子と書き、 本人の文章から、法律を学び、結婚していて、 190年代にキリスト教に改宗したことが分かる程度になる。

31の著作が残る。 ほとんどが論争の文章で、 異教徒、ユダヤ人、グノーシス派、マルキオン派、 そして最後には正統教会そのものと争った。

『護教論』、『異端者への抗弁』、『マルキオン駁論』5巻。 『魂について』『肉の復活について』。 『女性の装いについて』では、 女性は「悪魔の門」だと書き、化粧と染髪を責めた。 『見世物について』では、 最後の審判で異教の哲学者と俳優が焼かれるのを見るのが 何よりの見世物だ、と書いた。

ラテン語のキリスト教の語彙を作った。 「三位一体」「位格」「実体」「サクラメント」。 それまで神学はギリシア語だった。

207年頃、モンタノス派に移った。 聖霊の新しい預言を信じ、再婚と、迫害からの逃亡と、 重い罪の赦しを否定する一派だった。 教会が緩すぎる、と。 晩年はさらにそこからも離れて、自分の派を作ったとアウグスティヌスは言う。 220年頃に死んだ。 聖人にならなかった教父の、最初の一人になる。